神様の使いポポ

夜勤のOLが語る雑記

種まき

何かの目標の達成のために、まず最初にしなくてはいけないのが種まき。最初の一歩、種まき。

営業の仕事をしていたときは毎日種まきだった。あいさつして、覚えてもらって。
でも種をその場でまいたからといってすぐに実るわけではない。

種まきした当日は何ももって帰れない。だから頑張ったのに実りを感じられず私はなぜか疲れて残念な気持ちになってしまっている。

実るのはいつかわからない。明日に実るかも知れないし、1年後かもしれない。今日成果を手に入れたならば過去に種まきをして結果がでたということ。

だから種まきは本当に重要。我慢。

でも種まきを終えてすぐに実りを手にする人がいる。

そういう人を私は羨んでしまう。種まきした人の実力を現しているような気がして。

本当に実力があるのかもしれないし、運かも知れないし。

私も実りを早く手にしたい。焦り。将来必ず実ると約束はされていない。不安になる。

ただ、種まきをしないと絶対に実りは得られない。そして種まきは継続してしなければいけない。

コンスタントにするのが一番良いが、いつも種まきをしたい気分なわけじゃない。
全然成果がでなくて、不機嫌なときもある。

そんなときもいつもと同じように私は種まきできるだろうか。
未熟な自分。理想と程遠い。

ただ少し認めてもらえたときのうれしさ。忘れられない。それを活力にまた種まきをする。

もしかしたらたくさんのものはいらないのかもしれない。と思うと同時にたくさんの人に認めてもらいたいという気持ちもあることに気づく。

実りを手にしている人と私とどう違うのだろう。そんなに違いがあるように感じられない。
いや感じることもある。でもその人の真似をしてもその人本人には勝てないし、自分にないものは出せない。

たぶん根本的に違うのだろう。無知すぎてわからないんだろう。
いつか私も無知を脱出できるのだろうか。わからない。一生わからないまま種まきをやめてしまうかもしれない。
私はそんなに我慢強い方ではないから。一生わからないまま死ぬ。たくさんのことを見逃したまま。

もし成長して私らしさを出せたとき、認めてもらえるだろうか。わからない。

私にないものを羨んで、羨んだままでそんな汚い気持ち抱えたまま、追いつけずに終わる。

私にあるものはとても少ない。人に自慢できるものなんてない。

だけど友達に行ってもらったしゅんちゃんはしゅんちゃんのままでいいんだよという言葉に救われたり、猜疑心に取り込まれそうになりながら
いまこの文章に吐き出している。